写真には忍耐が必要な場面があるが、オレにはソレが無い。
さっと撮って、さっと去る。
名所旧跡やイベントに出かけると、三脚にカメラを載せて被写体を撮るためのベストポジションに腰を据えて、じっくりと写真を撮ってる人を見かける。
あの粘り強さはすばらしい。オレにはそういう粘り強さというものが殆ど無い。
粘り強いヒトたちの近くまで行って、チャカチャカと絞りをちょっと変えたりして数枚撮ってオシマイ。さっと次の場所へ移動する。
自分が思うイメージにあった一瞬を待つなどという芸術的な事ができない。というか、自分の中に具体的なイメージが無い。目の前に現れた「これはオモシロイ」と思えるものをサッと撮るのがいつものやり方で。
いつも目の前のものをサッと撮るから、じっくりと構図などを考えるヒマがない。構図を考えているうちに、目の前のオモシロイ出来事は終わってしまうから、とりあえず撮る。だからファインダーの中に知らない人や物が入り込んでてもあまり気にしない。
逆に、対象物の他に人や物が入り込んでる方がスキなのだ。そのほうが「その場で今だけ撮れる写真」という感じがしてスキなのだ。人が写り込むことで、対象物の大きさなどが具体的にわかるのもいい。
観光地なんで写真を撮っていると、みなさん気を使ってレンズを向けている方向はなるべく避けるようにされることが多いんだが、それが誠に申し訳なく思う。オレとしては堂々と横切ったりしてもらっても全然オーケーなのですね。対象物が全く隠れてしまうのはちょっと勘弁して欲しいが、そうじゃなけりゃ問題なし。
キレイな写真は撮れないけど、その時のことがわかる写真は沢山撮ってきたつもり。写真を見ると「この人はこの時にあんなことをしてたな」と全く知らない人の行動を覚えてたりする。
そんなテキトーな写真なので、沢山撮らねば見栄えのするものが撮れない。だからやたらと撮影枚数が増えて、ディスクを圧迫するので困ったものだと思うとります。
おばちゃんが「この松明にどうしたら火をつけられるのか?」と消防隊員に聞いているところ。消防隊員もなんとなくそれっぽく答えていた。
厳島神社の鎮火祭終了後、店頭に大松明を据え付ける様子を見ている鎮火祭帰りの観光客。昼間は大賑わいの仲見世通りの殆どの店が閉まっている中、人が沢山集まってる様子が面白かったので撮った一枚。
大聖院。それぞれ勝手な三人のおっさんたち。(多分他人同士)
大鳥居と灯籠だけだとツマラナイ。天長祭の舞楽を撮影に来ていたと思われるヒトが、なかなか開始しないので手持ち無沙汰でブラブラしている様子を撮ったのでした。(オレも暇だったしな)
大鳥居に向かう出っ張り部分に佇む女性が一人。彼女をこの場に見つけた瞬間「撮るべき」と思いシャッターを押した。彼女がいることでいい感じな写真になったんじゃないかと自画自賛。この直後、女性は海に飛び込むこともなく、何処にか去ってゆかれました。
大鳥居の写真よりも、その前で記念写真を取ろうとしているヒトや、記念写真屋さんの看板のほうが面白かった。ちなみにこの写真屋さんはシカを手なづけていて、記念写真を撮るときには、必ずシカと一緒に写してくれる。
シカと一緒に記念撮影。
厳島神社の御神能の様子は別に撮ってるんだが、観客桟敷の張り紙が面白かったので、「敦盛」をバックにパチリと撮ってみた。値段の記録にもなるしな。
厳島神社の管絃祭。御座船を操るヒトたちのための弁当を運ぶ女将さん連中。紋付きにステテコ姿や背中にマルに倉の字の爺さん達は、古くから管絃祭をサポートする地区関係者の長老連。
関係者一同で記念写真。足元が悪く、歩くと泥が跳ねまくるので、紋付き三人組は袴をたくし上げてステテコ丸出し。
観光客のおねえさんが大鳥居を撮影中。
厳島神社の近くにある豊國神社千畳敷の廊下の下。身長170センチ位の人には微妙な高さでとても歩きづらい。
山陽道下り 宮島サービスエリアから宮島を望む。風景だけじゃなく、女性陣が写り込んでるのが良いんじゃないかと思っている。
低い位置から撮るのも良いんじゃないかと。立って撮ってるだけじゃ能がないとちょっと考え中。