極私的視点(再)

思いついた時に、思いつきの文章とそれっぽい写真を大公開です。

「リライト」読了

 

リライト (ハヤカワ文庫JA)

リライト (ハヤカワ文庫JA)

 

 

まずはネタバレは少なめに

「SF史上最悪のパラドクス、その完璧で無慈悲な収束」などと謳い文句があるがいうほど最悪ではないし、無慈悲でもない。この事件の発端となった悪意の同級生についても動機は理解できるんだが、その行動がなんだか中途半端というかこちらもご都合主義な印象。つじつまがあわない事象があることをそこここにあると感じられるんだが、それについては「パラドクス」という言葉での説明で済ませている。オレが持っている「パラドクス」の意味とはちょっとずれている気がするから説明にはなってないと感じた。それ以上にアマゾンなどの感想にあるような「怖さ」は感じなかったのですね。

<パラドクスとは、”一見矛盾しない事象だが、よく考えてみると矛盾している事象”と理解しとります>

この作者は文章はすんなりと読めるし悪く無いと思うんだが、用意周到に読者をケムに巻きつつミスディレクションを誘発して、最後に「あれってこういうことだったんだ!」と読者を驚かせ、再読してみると「確かにそうだよな。でもこれって勘違いするよね」という感想を持たれるような書き方もできただろうこの小説なんだが、そうはなってない。作者にはまだそこまでの筆力はまだなかったってことか。

するすると読めて面白かったけど、SFとかミステリとかホラーとかの小説としての驚きやコクやケレンなどは感じられなかったな。これならば「涼宮ハルヒの消失」のほうがミステリーやSFとしての出来は数段上で面白い。

出だしの「携帯電話を取りに来るはずの過去の自分が現れない」というツカミはキャッチーで読者の興味をそそる内容で素晴らしい。作者もそのシチュエーションをおおい気に入って物語を膨らませたんだろうけど、もう一歩だなと思いますた。

感想ブログや書評などで他の人たちが指摘している通り、この小説はオレとしてはラストの展開がいまひとつスッキリできない細田守版の「時をかける少女」オマージュであることは明白なのだが(「時をかける少女」はラストは大林宣彦版のほうが好み)、あの作品の裏側でも同じことが起こってたかもしれんという考えが、この小説の出発点かもしれないね。出だしのアイディアは良いんだが、その膨らませ方がどうもスッキリとうまくできてない気がしてならないのです。

 

ここからネタバレありの不満点

この小説はストーリーは過去と未来を行ったり来たりする中で、それぞれ一人称で過去を語る人物が章ごとに入れ替わっている。はじめは未来の一人称と過去の一人称が同一人物なんだが、物語が進むにつれ実は複数の人たちの視線からみた物語で、これは最後のネタばらしでわかるんだが、それを読者にうまく同一人物だと思わせたうえで最後にその秘密をバラしたならば、ミステリ小説としては上等なものになっただろう。しかしこの小説では、それを途中でバラしている。ぼかしている点もあるけど、はっきりと一人称の人物名を書くことで、「SF小説ならば多元世界の出来事だな」と考えてしまう。実際はそうじゃないらしい。とあるブログではこの小説のなかでは多元世界は存在しないなどとも書いてあったし、オレも読みながら「これが多元世界ならば、すぐに問題解決できるのにな」などとのんきに考えてた。そんな疑問に対してラストで登場人物のひとりの独白でいろいろと説明されるんだけど、なにか納得できない気分だけが残る。

歴史に干渉できない、しようとすると何か見えない力で妨げられる(隕石が落ちてくるかもしれない、などという表現もある)と大上段に説明しているんだが、題名の「リライト」をはじめ、過去を書き換えるというこの小説の主題から考えると「お前ら過去を書き換えまくりじゃん」とやってることが全く整合性がとれてない気がしましたわ。

ミステリーという観点から見れば、途中登場するストーカーの正体も同級生を殺害した犯人もすべて簡単に予想がつく。あまりにあからさまに作者が物語の中に書いた内容から、容易に推測ができる。読者のミスディレクションを誘う内容もなし。
山の事故で亡くなり、中学生姿の幽霊として目撃される同級生に対する説明はなかなか明快で良かったんだがそれだけで扱い方がもったいない。

 

ここからはネタバレありの疑問点やもう少し整合性を考えたほうが良いと思った点のラレツ

まず一番に感じたのは「時を翔ける少女」の作者が最初のひとじゃないとなぜ分かったんじゃ?理由が書いてなかったし。でもそれこそがこの小説内の事件が起こる発端だったはず。もう少し納得できる理由がほしいわ。

それからこの物語のキーとなる「時を翔ける少女」は最初はだれが書いたのか。この本がなければ事件は起こらないし、事件が怒らなければこの本は書かれなかった。どこから始まったんだろうな。どこかで突然現れたのか。そうなるとこの世界の外側に別の世界があったってことか。多元世界じゃないか、それじゃあ。

過去から現在までの自分は実際に存在するのだから、10年前の自分がやってこなくても別に気にせず暮らせばよいんじゃない?未来はこれから来ることだし、ずっと先のことを気にしてもしょうがない。そんなこと気にしなければ、別にいいじゃんと思ってしまう。登場人物らが10年前の自分がやってこないことに対して異常に神経質になりすぎちゃいないか。理由があるかもしれんが、それがよくわからん。クラスメイトは40人近くいるんだから、ひとりくらいはお気楽に無視する奴がいてもおかしくはないんじゃないか。

タイムリープするひとが時間を超えて自分自身に直接会うことは不可能といっているが、直接会わなければ壁一枚隔てた隣の部屋にいても問題ないのか。どの程度の距離ならばオーケーで、どの程度ならダメなのか。直接目視がダメだが、影を見るくらいは大丈夫か、などと色んなパターンを想像してしまう。なんかいろいろあって、保彦はクラスメイト全員に同じ体験をさせなければならないことになり、最後には旧校舎に大集合することになるんだが、その時の状況がイメージできんな。

そんな旧校舎崩落時なんだが、そん時にはすべてのクラスメイトが同じ時系列上にその現場にいて同じ経験(保彦に突き飛ばされて、校舎外へ飛び出)したのならば、崩壊時には40人のクラスメイトがそこら中に転がり出てきてたはず。だがそんな描写はないし、それぞれの相手をしていた保彦は同時に40人いたはずだが、崩壊した校舎の瓦礫の下からそれだけの人数が助けだされた様子はなし。もしそうだったならもっと話題になっとるだろう。

40人同時飛び出しがなかったとした場合に視点を変えて、一人ひとり別々の時系列で旧校舎崩落に遭遇したのならば、それ以外のクラスメイトは同じ日には別のことをしてたわけで、そうなると同一日時にみんなが同じ体験をしたことにならない。そうなると、クラスメイト単位の時系列が存在することになるから、保彦が過去に来た時点で未来は変わってしまう可能性もある。そうなるとあんなに手間をかけたことをしなくても良いんじゃないか。それとも旧校舎崩壊外の記憶についてはひとりひとり消していったのか。手間がかかるなぁ。

保彦が手間をかけて実行し、その結果自身の苦しめることになる行動が「思い出を忘れたくない(なかったことにしたくない)」というのはあまりに薄弱な動機ではないか。

記憶だけ残して体験だけ消すって、意味がわからんしね。仮に消された体験のなかで体に残る傷などを受けた場合、記憶にあるけど傷は残ってない、とかいう話になるわけで。どうせなら記憶も消せや。消せる技術はあるんだし。

未来を確定するために過去を改ざんするって、その未来の未来から過去にである未来にやってきて改ざんされたりはせんの?

最後に

この小説には続編があって、全部で四部作らしい。四冊目でこの作品の謎が解明されるということなんだが、「実はリライトで描かれた出来事は実際に起きたことじゃない」という驚愕の事実が説明されるという感想を読んだ。何じゃそりゃ。夢オチと同じ全てぶち壊し。続編も読もうと思ったりもしたけど、他の方々のブログにあるあらすじを読むだけで、もういいやというカンジ。

まあ読みやすいし、それなりにオモシロイ。青春小説としての風味は無いことはない。ただし謳い文句にあるような驚愕でも最悪でもない。後味が悪いという人もいるが、ハッピーエンドではないというだけ。

氷菓」よりは全然良から暇なら読んでね。

 

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リライト #rewrite #法条遙

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