極私的視点(再)

思いついた時に、思いつきの文章とそれっぽい写真を大公開です。

「残念さん」ってなんだ

今日はモノクロ写真にしてみた

地元に「残念さん」という変わった名前の神社があるらしいので行ってみた。

由来は以下参照。

1866(慶応2)年、長州戦争の時、四十八坂一帯は東西の攻防の決戦場となっていた。その頃、和睦に走っていた幕府軍使者、丹後宮津藩士依田伴蔵を長州軍が戦闘員と見誤って狙撃してしまった、軍使は「残念」と叫んで倒れた。 長州軍は遺憾の意を表し、その死を悼み祠を建て奉ったのが名前の由来といわれている

 まあそんなわけなんだが、建ってる場所に行くのは歩いてゆくしか無い。

普段はイノシシしか走ってなさ気な道をずっと登って、途中高速道路をまたぐ橋を渡って、もう少し山を登ったところにある。

▼所々に打ち捨てられたような古そうな説明看板がある。でも本当にこの道でいいのかと歩きつつ不安は拭えないw

▼ディ◯ニー映画のキャラクタを日本人流にアレンジしたとも思えるようなリスが纏を担いで火の用心。デザイン、書体ともに昭和的な雰囲気満載。

かつて神社があった辺りに西国街道と呼ばれた街道が通っていたそうなんだが、なんでこんな山の中に街道を作ったのか。今と違って海側に道路を通す適当な土地がなかったという話も聞いたことがあるんだが、もう少し楽そうな場所でも良かったんじゃないかと思ってしまう場所。いまでは麓から神社までの間、むかしは普通に山の斜面だったところを切通的に切り開かれて高速道路が通っているんだが、むかしの人はここらへんを歩いてたんだと思うと、大変だよなと思う。こんな狭い木や草がボーボー生えている道しかなかったのか。馬も通れんぞ。

とらわれて移送される吉田松陰が座って休んだと伝えられる石も残っているし(あれ?吉田松陰って籠で移送されたんじゃなかったか?よく知らんが)、歴史を感じる山中でありました。

▼鳥居の向こうに見える大きな石に吉田松陰は座ったらしい。

本命の「残念さん(残念社)」は山の中でひっそりと建っておりました。ほとんど参拝する人もいなさそうで、誠に残念なカンジでしたわ。依田伴蔵さんも寂しかろう。

 残念社を過ぎて山を下ってゆくと、温泉街の坂を登り切った辺りに温泉の源泉がありました。湧きだしてた湯の温度は25度とぬるいんだが、手を浸すと少しぬるりとした感覚があるんだが、その後には肌がすぐにつるつるのさらさらになる。さすが温泉だわ。

▼源泉地からは瀬戸内海に浮かぶ牡蠣筏や目の前に浮かぶ宮島が見えるよ。

▼残念ながら大鳥居が見える角度ではない。