「耳なし芳一」のはなし とか
耳なし芳一の聖地へ行ってきた
「耳なし芳一」といえば、かのラフカディオ・ハーンの「怪談(KWAIDAN)」に収められた有名な話なんだが、その現場が下関市は赤間神宮というところ。で、一度行ってみたいと思ってた。悲運の幼帝安徳天皇陵もあるしね。
ついてみるとうわさ通りの龍宮感満載で、乙姫様の代わりに可愛らしい巫女さんが本殿の中を舞い踊っていました。(本殿前では結婚写真の前撮りっぽい人がいたんで、そのための準備中だったっぽい)
▼楼門からして竜宮っぽい。
▼拝殿から中をのぞくと、本殿回廊周りには水が張られていた。厳島感もある光景。
例の竜宮的楼門を左に入ると、安徳天皇陵。ちゃんと菊の御紋がついて扉があり、中までは入れなかったが、門前で手を合わせてご挨拶をいたしました。
▼「御」という文字が沢山あるとても丁寧な説明文
▼で、拝殿左に耳なし芳一堂
耳なし芳一って平家の怨霊に取り憑かれて、住職のお経によって命が助かった、平家側から見れば、魂をもってけなかったっていうエピソードだから、芳一と平家の面々はある意味敵対関係ではないかと思うんだが、ここでは隣同士で祀ってある。大丈夫か?芳一。
▼耳なし芳一堂に祀ってあった耳なし芳一像。若くてイケメンっぽい耳なし芳一でした。
▼前撮りっぽいカップル。マンションの間から関門大橋がちらりと見える。男性が外国人(聞こえてきた関係者の話によると、イタリアの人らしい)だが、背が高く紋付羽織袴が似合ってた。おめでとうございます。
赤間神宮の近所には唐戸市場や亀山神社など観光名所が歩ける距離に点在してたので、まわってみたりしましたよ。
この日はちょうど花火大会と亀山神社の祭りの日らしく、茅の輪くぐりの輪がしつらえてあったので、くぐってみたりした。
▼海外からの観光客も沢山見かけた唐戸市場の場内
そのほかには功山寺へ行って高杉晋作像を見たり、長府毛利邸へ行ったりちょろちろと動きまわって、そこここで写真を撮っておりました。
なかなか面白い物があるなぁと思いつつあるいてたけど、とても暑い日だったから疲れたよ。
▼訪れた人が自撮りで一緒に写真を撮ってた高杉晋作像。台座に嵌めこまれているプレートを見ると、銅像の題字を書いたのは岸信介というヒト。どこかで効いたことあるよなぁ、安倍ちゃんw
▼8月7日から行われる天下の奇祭「下関 忌宮数方庭祭」の舞台の忌宮神社では、祭りの準備まっ最中でした。
▼長府毛利邸内 廊下
▼かつては明治天皇も宿泊されたらしい
今年の春ころに下関に言った時の様子は以下のリンクですよ。
「シン・ゴジラ」(はっきり書いてないけど、中身の大凡が分かってしまう内容ですよ)
公開初日のレイトショーで観ましたよ
▼普段は劇場パンフレットなど購入しないんだが、思わず買ってしまった。850円 「ネタバレ注意」とのオビ付き
金曜日の昼休み、iPhoneでTwitterをチラチラ見たついでに「シン・ゴジラ」というキーワードで検索したら、出てくる内容がほぼホメているもの。初回上映や前日のプレ上映を見た人たちの殆どがほめていて、けなしている内容は目につかない。「進撃の巨人」と大違いだと思い、コレはすかさず見に行かなければと午後の仕事は気もそぞろになって、定時になるとそそくさと帰り支度をはじめ、一旦うちに帰って飯食ってからレイトショーを見に劇場まで車を飛ばしたのでした。
▼ロビーで待ってるオヤジたち。ほとんどがすべて「シン・ゴジラ」待ち
で、どうだった?
ここから書く内容は細かいネタバレはしない予定なんだが、これまで”TVアニメ”または第一作目の劇場版の「新世紀エヴァンゲリオン」を見たことがある人ならば、映画の内容が容易に想像がついてしまうので、初見で楽しみたい人は見てから読んで下さい。
映画の内容を一言で言えば
この映画は「新世紀エヴァンゲリオン」で、エヴァとネルフが出てこない「ヤシマ作戦」です。劇中に実行されるのも「ヤシオリ作戦」と呼称されているし。戦車をずらりと並べて大砲撃ちまくるのに自衛隊の攻撃が全く刃が立たなかったりするのもそのエピソードで見たことある風景。
ゴジラがビームっぽいのをビーと出して、そこら一体をなぎ払うシーンは「ナウシカ」の巨神兵かな、と皆が感じるように、この映画は庵野秀明という人が生み出してきたアニメの映像表現を実写に焼き直したものなので、これまで庵野アニメを見てきた人はどのシーンも「どこかで見たことがあるな」という映像になっております。まあ脇を固める主要なスタッフが「エヴァ」組で、重要なシーンになるとエヴァと同じBGMが(少しづつアレンジを変えながら)流れるし、様々な報告が飛び交う事で作戦が遂行されていることを表現するという手法などもその原因のひとつかもしれんけどね。ちなみに背びれから沢山の光線を一斉に発射する様子は「イデオンのようだ」とプロインタビュアーの吉田豪氏がTwitterで感想を漏らしていたけど、確かにそうとしか思えない描写でした。
それからもう一つ感じたのは、「東京という都市が消失するかもしれない危機の際して、日本人はどうするか?」という少し規模が小さいけど小松左京の「日本沈没」のテーマも含まれているという印象もありましたね。樋口監督にとってはリベンジになるのかな?
この映画のように突如出現した怪獣に対して、日本国がどのように対応するかという様を描いた特撮映画としては「平成ガメラ」シリーズがある。中でも「ガメラ2」はそういったテーマを描いたすべてのもののうちでもベストではないかと思っているんだが、同じテーマの「シン・ゴジラ」がそいつを越えることができるのか?と思いながらも見てた。
同じものをテーマにした「ガメラ」はモンスター同士のバトルを中心にした怪獣映画のフォーマットに則って作られたが、今回の「シン・ゴジラ」はゴジラの出現はあくまで天災のひとつとして扱い、物語の中心は右往左往する人間側を描くという別の切り口から描かれている。表現方法が違うからどちらが優れているかとは言えないが、どちらもファンに間で長く語り継がれるような映画になったことは間違いないと思う。
興行的には無理だろうが、この脚本ならばゴジラが一切映像として出てこない映画としても作れたかもしれないね。今後舞台劇になるかもしれない。
特撮はどうなんだ
特撮は予告編でちらりと見せた映像クオリティーの高さが感じられます。時々粗っぽい印象もうけるCG表現ですが、実写との融和感がとてもよい感じでした。市街地を破壊しながらのし歩くゴジラの表現からガメラっぽさを感じるのは、やはり樋口特技監督が指揮をしているからでしょう。空撮や引きの画を多用して、いかにもTV中継を観ているような本物感というか臨場感を感じさせる画面でした。
特撮について一言で言い表わせば、それは「巨神兵東京に現る」の巨神兵をゴジラに置き換えたものというのが説明としてはいちばん適切だと思う。
全体としてはどうなんだ
前半の展開は突如発生したよくわからん事象に対して、内閣がなるべく穏便に済ませたい、責任は取りたくないという雰囲気満載の「結果ありきの会議」が繰り返される場面がずっと続く。そんな様子をみていて、大企業の末席でもそういった事象を目の当たりにしているオレとしては「大きな組織ってのは、やっぱあんなもんだよな」なんて思いながら見てました。
対策本部の設置準備風景などは、従来の怪獣映画、特撮映画では省かれるものがほとんどなんだが、この映画ではそこから見せる。そこに運び込まれる大量のパソコンやコピー機やコピー用紙、電話機などを見ると、つい先日に地元で豪雨が降った翌日に訪問した区役所の会議室そっくりで、変なところのリアル感に感心してみてました。
大臣や官僚同士の会話なども実際に近くにいる人達にとってはとてもリアルだったのかもしれない。特撮映画の会議といえば、防衛軍のえらい人と何でも知ってる天才科学者が対策を協議する場というのが定番だが、この映画では省庁それぞれの利害関係が見え隠れするやり取りや、会議後の仲間内での愚痴など、ドラマとして面白かったから、あれだけ会議でいろいろと話をする長いセリフだけの場面でも、飽きず見ることが出来ましたね。かなり調べて脚本を作ったんだろうなと感心しながら観てた。
東京湾に出現した不明生物は呑川に沿って内陸部へ遡ったり、鎌倉に再上陸した後にはおそらく横須賀線にそうように武蔵小杉や品川周辺などを破壊して歩いたりと、かつて首都圏に住んでた時の生活圏内(住居だったり仕事場だったり、通勤路だったり)がたくさん出てきたのは個人的に「あそこら辺をゴジラが歩いておるわけか」などという感想と、それらの町並みの表現のリアルさも加わってより一層の身近な本当の出来事のように感じましたわ。
この映画は第一作目のゴジラを意識して作られたとは様々な人が公開前から指摘されていたんだが、昭和ゴジラではすっかり忘れ去られ、平成ゴジラでも一作以降はあまり重要視されていない放射能の影響についてはっきりと言及される。第一作目のゴジラはおそらく戦中の空襲の記憶がベースになっていると思っているんだが、この作品ではやはり東日本大震災と福島原発事故が物語のベースにあると感じた。ゴジラが呑川を遡上する際の水の逆流や、それに伴う無断係留されたボートが押し流される様子などは、東日本大震災で津波に流される自動車と重なった。それに加えて会議で連発される「想定外の自体だ」や、総理大臣や官房長官の記者会見の場面など、5年前に余震を感じながらTVで実際に目にしたシーンと変わらない。この映画を見たあとだと余計に、あの記者会見の裏で映画で描かれたようなやり取りが実際にあったんだろうな、と思ってしまったりする。この映画は東日本大震災という大きな災いを首都圏の人々が直接経験したことから初めて作ることが可能となった映画なんだろう。やはり阪神大震災の体験と記憶とはその点が決定的な違いなんだろうな。
で、結局
ラストは「もしかして続編もありかな?」というニュアンスで終わるんだが、その解決方法はアメリカを中心とした国連軍が主張する核兵器使用ではなく、世界中の知識を総結集して編み出した技であったというのは、庵野監督が「まだまだ人間同士が知恵を出し合えば、世界は良くなるに違いない」というメッセージだったのではないか、と思いましたね。
いろんなことを書いたけど、新しいゴジラの製作は総監督庵野秀明、監督樋口真嗣だと聞いた時の絶望感は全く杞憂であって、誰でも楽しめるとはいえないまでも、特撮好きで庵野秀明作品が楽しめる人ならばおすすめです。前半の会議しっぱなしのシーンをただただ見せつけられても面白かったです。
で、最後に
この映画は登場人物が300人を越えるというので話題にもなってて、確かに沢山の人たちが出てくる。主要登場人物の三人もそれぞれ個性があってヨイと思いましたが、願わくば石原さとみが演じた役は、もっと背が高いモデル系で本当にネイティブな英語が喋れる人が良かったかな。彼女は彼女で魅力的なことには間違いはないんですんが、その点が少し残念。
登場人物らで一番感情移入出来たのは、各省庁のはみ出し者を集めた研究班の有能で個性あふれる面々でした。個人的に付き合うのは遠慮したいけど、みながみな頼もしくて好きです。そのメンバーのひとりで普段はノーメークで無表情な市川実日子が、最後でホッとしたような表情で笑うのがとても可愛くてステキでした。
官房長官役の柄本明のいかにも一癖ありそうな佇まい、非常時において周りのプレッシャーで内心慌てているんがまるわかりの総理大臣役の大杉漣など、いかにもいそうな(あの時にいたような(笑))政治家たちもなかなかよい感じでした。予告編を見た時からそんな雰囲気は感じていたけど、それは特撮映画というよりも人間ドラマという味がつよく感じられる映画になっていてとても良かったと思います。
そんな登場人物群なのですが、一番印象に残ったというか美味しいところをさらったのが平泉成ですね。ダメダメっぽい登場の仕方なんだが、実は有能だった、でもそんなことはおくびにも出さないという役どころはとてもかっこよかったね。
面白かったです。評価は10点満点中7.5点くらいです。
それにしても、ラストでアップになるゴジラのシッポにあった人型っぽいものは何だったんだろうか?進化の頂点に達したゴジラから新たな人類が生まれるという示唆なのか?絶対続編が作られるな、これは。
宮島管絃祭 提灯行列
今年は平日開催。旧暦だから仕方がない
厳島神社の神様は毎年旧暦六月十七日に輿に乗って巡幸されるわけですね。それが管絃祭。船に乗って対岸に渡ってそのたびに雅楽が演奏されて、人々はそれを見守るというのがおおよその行事なんですが、詳細は以下のリンクをご確認下さい。
神様向けの行事なので人間の都合はあまり関係ない。神様と一緒にまあ楽しみましょうというカンジですので、厳島神社の行事全てに通じるんだがすべて神様ペースで物事が運ぶ。だから開催日も必ず大潮の日が選ばれるため、グレゴリオ暦など完全に無視で、太陰暦で日取りが決まります。この数年はうまい具合に会社の夏休み期間中だったり、土曜日だったりしたもんで昼の部から参加したんだが、今年は平日ど真ん中の日付となったため、会社を定時にあがり、急いで家に帰ってからカメラを引っさげて夜の部の提灯行列にだけ参加しましたよ。
御座船の到着を待つ人々
宮島に渡るため夜の八時四十五分発のフェリーに乗り、桟橋を降りるといつもと違い左方向へ向かう。そちらには厳島神社本殿から出発したあと、宮島対岸にある地御前神社を回った御座船が戻ってくる長浜神社があります。そこで集まったヒトたちに提灯を配り、戻ってくる御座船をお迎えするという趣向で、その後には提灯を持ったまま厳島神社本殿に向けて仲見世商店街を行列しながら歩くというのが宮島管絃祭の提灯行列です。
▼長浜神社からいただいた火を島の消防署員が配られた提灯のろうそくへ火を移す。周りじゅうぼんやりとした提灯がひかり、なかなかいい雰囲気になりますね。
▼提灯を持って浮かれたヒトたちがそこここで記念写真の真っ最中。オレはそれを撮ることの夢中。
▼外国人観光客のひとも沢山いた。
遠くから御座船を引く伝馬船の上で叩かれる太鼓の音と、伝馬船を漕ぐ男衆の掛け声が聞こえてくる。提灯を左右に振りながら、それを迎えるヒトたちの列が続く。
長浜神社の前で祝詞と雅楽が演奏されたあと、御座船とそれを曳いている伝馬船は鳥居前で三回まわったあと、次の目的地大元神社へ向かう。
提灯行列出発
去年も提灯行列に参加したんだが、その時はなにか統制が取れておらずダラダラとした列だと思ったが、今年は場内放送のおねえさんが場を仕切っていて、行事の解説をしたり次の行動を指示したりしててメリハリが効いてたという印象でしたね。
去年の管絃祭の様子。
夜の厳島神社は回廊に提灯が沢山ぶら下げてあるのが趣があってよいカンジ
本殿参道には去年は見かけなかった露天商の店が出てて、たこ焼きやらなんやら売ってましたが、飲み屋の帰りならいざしらず、夜も更けて11時位になってたこ焼きは食べんだろうに。しかしヒトが沢山通ることは確かで、昼間っから営業中だったろうから、商売人としての努力する姿勢には感心させられましたね。
普段は300円の拝観料がかかる厳島神社本殿なんだが、この日 提灯行列に参加したヒトは入り口のおばちゃんに提灯を見せると無料で入ることができる。提灯行列の人たちはそのまま拝殿まで入っていってお祓いを受ける事ができるわけですね。オレはちょっと寄り道して行ったからお祓いまでは受けなかったけれど、入り口で持ってた提灯を見せびらかしつつ、観光客のおばちゃん軍団と一緒に本殿へ入りました。
▼寄り道した理由は、この間気づかなかった江夏モチーフの献燈を撮るため。暗くてボケててスミマセン。
▼お気に入りの「キックの宮」献燈は明かりが点ってていい感じ。
▼海の上に浮かんで見える大鳥居もライトアップされててキレイ。
▼豊國神社の五重塔もライトアップされててキレイ。回廊には戻ってきた江波衆の伝馬船が見せる枡形三回転を見ようとすずなり状態。
▼今年の阿賀衆が乗る船は、LEDで明るくライトアップされており、イカ釣り漁船的で派手さ五割増しな印象。
▼旧暦六月十七日は大潮で満月
▼23:10過ぎころ、伝馬船に曳かれた御座船が大鳥居をくぐって本殿へ戻ってきた。
狭い枡形の中で伝馬船を左回りに三回まわす江波衆。回るたびに回廊に並んでいる観客からは大きな拍手が沸き起こる。
▼最後は客神社前で祝詞と雅楽演奏があり、その後神様は本殿にお帰りになる。
0:00発の帰りの最終フェリーを心配しつつ待ってたんだが、予定より少し早めのスケジュール進行で、去年見られなかった枡形の三回まわりも見られたうえで一本前の23:30発フェリーに乗って帰ることが出来ました。
去年は潮の高さがスゴくて、回廊床板上まで海水が上がってきてたんだが、今年はそんなこともなく観客のみなさんも安心して床に腰をおろして見てられました。
去年よりも海水の上昇がなかったとは言うものの、対岸に到着したフェリーの浮桟橋では、ふつうは上り坂になっている渡り道路が逆に下り坂になってたから、「さすが大潮」ということなんでしょうね。
今年も無事 管絃祭に参加(ちょこっとだけだけど)出来てよかったヨカッタ。
でも写真を撮るということで言えば、やはり暗いからピントは合わない、シャッター速度が稼げずブレまくり、ISO上がりまくりでノイズ乗りまくりな写真ばかり撮ることになりました。でも、キレイキレイな写真を撮ることだけが目的ではなく、その時の風景をその時に(ほぼ)見たまま写すと言うんは、まあそれなりにできたんじゃないかそうなんじゃないかな。
とは言うものの、まだまだ修行が足りん。デカイ白レンズにデカイ三脚担いでたおっちゃんも何人か見かけて、キレイなシャシンを撮るんはやはりアレくらいの準備と根性が必要なんだろうと思うけれど、こちとら手持ちで機動力重視じゃ、とばかりのまだまだ頑張ってゆきたいと思うとります。
おまけ
今回、司会その他に宮島観光大使のお嬢さんが浴衣姿で参加されていて行事に華を添えていたんだが、そのうちのお一人(たぶん下の写真の右側のお嬢さん)とすれ違った時、顔がちっちゃくてエラく可愛く見えた。「春をよぶ清盛まつり」の時には特に印象的お嬢さんではなかったけれど、提灯行列最中の道すがらは薄暗くて夜目遠目笠の内などとも言いますが、やはり観光大使に選ばれるくらいだからそれなりにそこら辺のヒトとは違うんだろうな、と勝手に考えてたおっさんでありました。
次は、「玉取祭」でしょうか。
にしもとおさむ ベースボールアート @宮島、町家通り
暑い三連休、沢山の観光客に揉まれにゆく
三連休だし天気が良いしで久しぶりに宮島に渡ってみたのです。
三連休だし天気が良いしで観光客の皆様が大勢で大変混雑してた宮島でした。
今回の宮島は今年は7月20日に行われる管絃祭の準備がぼちぼち始まっとるんじゃないかということだったんだがまだまだ準備前で、御座船の基本形が寂しく佇んでいた程度でしたよ。
▼まだガワだけの御座船。伝馬船もまだ到着しておりませぬ。
厳島神社本殿前で大鳥居をバックに記念写真を撮る皆様には、順番に並んだ前の人の写真を次の人が撮ってあげるという暗黙のルールが確立されていて、それが順調に繰り返されておりました。マジメな日本人。もちろん外国人観光客もルールに則ってみんな仲良く記念写真。
▼男女仲良く「広島じゃけー」Tシャツを着てらっしゃるが、冷静に考えると恥ずかしいと思うぞ
▼管絃祭ではこの真中のちょっと掘り下げられた部分を神様がのった輿が通って御座船まで運ばれます。
▼大鳥居の柱にはお金を挟むなと言われて久しいが、まだまだ残骸が残っております。
▼最近は柱の割れ目に挟んではならぬという掟を守りつつも、どうしてもお金をおいていきたい人が多くいるらしく、フジツボの隙間に押し込んでいる例を発見。足元を見るとこぼれ落ちた小銭が沢山ある。お賽銭症候群だな。
で、つまんないなーなんて思いつつ町家通りをブラブラ歩いてたら家々の軒先に据え付けてある献燈の絵柄が「野球」関連に、それもほぼカープの初優勝時の選手になっているのに気がついた。そういやFacebookで「世界遺産認定20周年記念てこともあって、こんど献燈がベースボールアートに変わるよん」という書き込みを読んだ記憶がある。
てなわけで急遽「管絃祭の準備」はやめて「ベースボールアート」を撮ることにしたわけでありますね。
ベースボールアート
見た目と色合いはヘタウマ系安西水丸風という印象なんだが、試合風景の写真を参考に書かれていると思われるどの選手も、それぞれ特徴を上手く掴んでてよい感じですね。
▼1975年広島東洋カープ初優勝時に胴上げされる古葉監督。台詞の「本当に優勝したんですね」はその時のインタビューでの言葉。
▼背番号70の後ろ姿はジョー・ルーツ監督。シーズン開始すぐに審判と揉めて退団してしまったけど、彼こそが初優勝の原動力となった「赤ヘル魂」を選手全員に叩き込んだ男。グランドではいつも怒ってたからこの画でも怒ってるw
▼初優勝を決めた後楽園球場のインタビューで男泣きのミスター赤ヘル 山本浩二
▼山本浩二とともに赤ヘル打線を引っ張った”鉄人”衣笠祥雄。ホンモンを間近で見るとゴツくて黒くてかっこいい。
▼一連の献燈のなかでも一番のお気にい入りがコイツ。 アヤシイ判定を下した審判に対して、打点の高い飛び蹴りを食らわせた「キックの宮」こと宮本投手の雄姿。この伝説のシーンはオールドファンの心に深く刻まれているぞ。
理由は不明なんだが、カープの乱闘試合はなぜかドラゴンズ戦が多い。むかし旧市民球場でドラゴンズ戦を見てたとき、クロスプレーからなんだかんだでモメはじめベンチから全員が出てきてグランド上で揉み合ってる試合に遭遇したことがある。その試合の結果は覚えていないんだが、その回ではたしか負けてたからスタンドからも酔っ払いオヤジが「やれやれー」などと盛んにヤジを飛ばしてたのを覚えてる。かつての市民球場はいまと違って一度事が起これば「寄らば切るド」という緊張感あふれる男臭い場所であった。などと昔はヨカッタ的なことを語ってはいるものの、いまのみんなで楽しめるマツダスタジアムのほうがヨイと思うよ。
▼ちゃんと”VS DRAGONS"と書いてあるのが「分かってらっしゃる」というカンジ
▼所々でなぜかMLBの選手もあり。これはNYヤンキースのレジー・ジャクソンが空振りしてる有名な写真を参考にしてる。
旧いファンには涙モノの画もあるわけで、怖いもの見たさでも見たい人は以下のリンクを見てちょうだい。
はつかいち縦断みやじま国際パワートライアスロン 2016
みやじま国際パワートライアスロンなんだが
朝8:30すぎにぼちぼち家から出発して、ダラダラと坂を下り今回の撮影ポイントと決めてた場所へ行ったんだが、そこで地元の新聞社「中国新聞」の記者と名乗るひと(写真の首にタオルを巻いている人。昨年もココらへんで見かけたひと)から「毎年観戦されているんですか?」などと声をかけられた。「ココ数年ですね」などと答えていると横からじいさんが参戦してきて「ワシはずっとココで見てきとります」などと話し始めたもんで、記者の人もそのじいさんと話し始め「お話を記事にしたいからお名前を」なんて聞いていたのですね。オレとしてはそっとその場を逃げ出したんだが地元新聞に掲載されるチャンスを逃してしまったのが残念といえば残念。でもじいさんはその後「毎年このコーナーでは選手の転倒が続出して、このあたり(いまじいさんが立っている辺り)まで転がってくる。だから毎年コーナーのところにはネットを張ったりマットを置いたりしているんじゃが、今年はないな」などといろんな話をしてたから、記者としてはオレと話をするよりも楽しかったんじゃないかと思いましたね。
で、「毎年毎回、必ず何人かの選手が転がってくる」と聞いてオレもモウシワケナイけれどもそれを期待してしまい、ファインダーを覗きながらもいつ転がってきても逃げられるように全方向に注意を向けながら写真を撮ってたんだが選手のみなさんはきちんとブレーキをかけつつ高速でコーナーをクリアされており転がってくる選手は(オレがいた間は)皆無でした。多分転倒したのは地面が濡れているときにマンホールの蓋で滑ったのが原因ではないかと思われ、今日みたいな路面が乾燥している日にはよほどのマヌケな選手でない限り転倒などはしないだろうに。毎年設置していると話していた「ネットやマット」は少なくとも去年はなかったし。とかくじいさんの話は半分くらいで聞いとくのが正しいということだろう。
▼首にタオルが中国新聞の記者のひと。左隣の白い帽子が大会にまつわる様々なエピソードを語っていたじいさま。
▼「おっ、来たか?!」と思ったら地元のにーちゃんがママチャリで激走。ココらへんの交通整理&警備のおまわりさんに「早く行って」と怒られてたw
▼こちらが本当のトップ。先導のバイクより早く到着で、先導役の人かと思った。
中国新聞の記者の人は、少し離れた場所からそのじいさんを中心に(たぶん)、オレが陣取ってた辺りにレンズを向けていたから、何枚か写真を撮ってたはず。なので、もしかすると明日の中国新聞朝刊にはオレの雄姿が写ってるかもしれんよ。
▼トップ通過の #1 高濱選手(ボーマレーシング・門司地産/福岡)は見事エリート選手1位。
▼一般の部で優勝の#684 谷川延久選手は3連覇を達成だそうです。
▼女子トップ通過は#13 一本松選手(東京都トライアスロン連盟)
▼ #435 稲葉選手(京都府)
県知事も参加しておりました
尾道と今治(愛媛県)をつなぐしまなみ海道に世界中からサイクリストが集まっているということもあり、広島県は知事の肝いりで「サイクリング」を目玉に様々な施策を実行しようとしているらしいんだが、少し早めに活動を開始した愛媛県が若干のリードという雰囲気らしい。そんな状況もありでか、今年の大会には広島県庁チームの一員として湯崎県知事本人がチーム戦のバイクに参加されておりました。まだ50歳と若い知事の体力に物を言わせて、他県のお年寄り知事とは一線を画するアピールをしようとしているものと思われる。知事が自転車で坂道を下り降りてくる姿は、他の選手に引けを取らずかっちょよかったぞ。
▼湯崎広島県知事(広島県庁トライアスロンクラブAチーム)の雄姿。
▼去年陣取ってたコース上の横断歩道には先客あり。三脚設置で文庫を読みながら選手待ちとは腰が据わっておる。
▼地元住民による熱心な応援風景。時々応援に答える選手もあり。応援側はラスト近くになると出場選手一覧記載の番号を見ながら個人名で声援を送ってた。
トライアスロンが終わればすぐに夏。つぎは厳島神社の管絃祭かな。
とりあえず来る選手来る選手片っ端から撮ってたから、順位などは違うかもしれませんが許してね。
穴にもぐったり、高いところに登ったり
往復400kmの運転で疲れた
梅雨の晴れ間というか、来週からは雨が続くらしい。そんなこともあって天気が良かった土曜日にちょっと遠出をしたわけです。
鍾乳洞へ行ってみた
鍾乳洞といえば山口県の「秋芳洞」が有名なんだが、岡山県にもいくつかある。そのうちの一つ「井倉洞」という鍾乳洞へ行ってみた。
▼高くそびえ立つ崖から流れる大きな滝が目印
前を流れる高梁川にそって土産物屋や食事処が並んでいる。かつては大勢の観光客で賑わったに違いないんだが、いまではひっそりとして店じまいしたところもも少なくない。その日は観光バスで団体客がが来てたり、グループや家族連れ、カップルがそれなりに訪れていたが往時の賑わいを思わせる面影はなかった。
穴の中はとても涼しい
大人一人金一千圓成の入洞券を自動販売機で購入していよいよ中に入る。中の温度は年間を通じて12〜15度くらいらしく入るとひんやりするが、この日の外の気温は30度近かったので少し肌寒いが心地よい。
洞内は秋芳洞などと比べると通路は狭く、そこここから水が垂れてくる天井は低い。外国人などの身体の大きな人では通りぬけが困難だろうと思われる。足元には水が流れていて実際にはそうではなかったんだが、見た目が滑りそうでちょっとコワゴワ歩いて奥へ進む。
ココの鍾乳洞は下から入ってどんどん登り、また下がってくるという構造になっている。頂上に当たる部分から下がるトンネルは作業用(?)で掘られたために特に見どころはないんだが、登りの途中にある様々な鍾乳石は、小型ながらいろいろと珍しい形で楽しめる。
絶え間なく通路を流れ、天井から落ちてくる水には石灰分が含まれていて、足元や様々なものにつぎの鍾乳石を形作り始めていた。
▼照明用に取り付けられた蛍光灯の傘から垂れ下がる鍾乳石のコドモ
▼気温差15度くらいあるので洞窟を出るといきなり熱風が襲ってくる。出たところには神社があり、その天井にも鍾乳石が垂れ下がっていた。
▼約70mの高さから流れ落ちる滝を近くから見る
ここは映画「八つ墓村」(金田一耕助役は渥美清)のロケで使われたらしい。確かにあの作品は鍾乳洞の場面があったな。
穴にもぐったあとには高いところに登る
「井倉洞」から車で30分ちょっとのところにあるのが「備中松山城」。「松山城」といっても四国のではないし、その近くには「備中高松城」(豊臣秀吉の水攻めで有名)があったりしてややっこしいこと限りない。
で、その城へ行ったんだが、ここは兵庫の竹田城とならんで「天空の城」として有名らしいんだが、今回行くまで知らなかった。
高梁市街地から途中の駐車場まで車で登り、そこからはシャトルバスで頂上近くまで登る。そこからは徒歩で約20分くらいの登りみちを上がりやっとお城に到着するので、お年寄りなどにはちょっとツライと思われるわけで、実際にシャトルバス乗り場近くの駐車場の案内をしてたおっちゃんが、おばちゃんらに「城まで坂道を20分くらい歩くけど大丈夫?」的な話をしているのが聞こえてきた。実際登ったんだが、ちょっときつい。年寄りにはちょっと大変かもね。
▼シャトルバスは来たら乗る方式で時刻表はなし。往復で大人300円。
シャトルバスで5〜6分くらい登ったところから、今度は徒歩で15分くらい登るとやっと見えてくる石垣。そこまではただの山道だからツライだけだけど、この石垣を見たらちょっとやる気が出てくる。現存する天守閣はまだ見えず。
▼このリッパな石垣を見たら竹田城と並んで「日本のマチュ・ピチュ」と言われるのもわかる気がする。ただ高い場所にあるというだけではない。
▼ずっと登ってやっと見えた天守。
▼入場料大人300円
備中松山城の天守は決して大きくなく、中に入ると木造の質素な作り。戦災で焼けて再建された城は中身が鉄骨構造だったりするんだが、ここは江戸時代に建立されたままの木造なのがシブい。
▼城の中に囲炉裏があるのは珍しいそうな
竹田城の写真で有名な雲に浮かぶ姿なんだが、この城でも秋から冬にかけて近くの展望台から見られるらしい。ただし野生の猿がいるので注意が必要とのこと。
城下町へ行ってみる
城を下だると城下町に残されているのが武家屋敷。中級武士と藩主クラスの屋敷がそれぞれ残されている。入場料は両方に入れる共通券で大人300円。
▼胴に描かれている唐獅子がカッコいい。
屋敷内には当時の武士の生活を再現した人形が置いてあったんだが、ちょっと白塗りすぎだと思うし、奥方の風貌は西洋的過ぎ。誰か指摘しなかったんか?
▼玄関にいるこの人は入り口のセンサーでいきなりお辞儀をし始めるので、ぎょっとさせられる。
主一家が生活する部屋は畳敷きだが、中間小者の部屋は板間に筵敷
車での往復移動距離が約400km。疲れたねぇ。
カラーよりも白黒のほうが良かったりする場合がある
出張ついでに写真を撮ったりする
先週の出張の仕事終わりが新木場界隈だったもんで、まだ20時ちょい過ぎだしそのまま京葉線に乗ってとりあえず壁だけでも見てくるかと思い立ち行ってきましたよ、ディズニーランド。舞浜駅に降り立つとすでに20時30分過ぎだったので、ディズニー風の帽子やぬいぐるみを抱えたカップルや親子連れ、修学旅行の団体が駅に向かってぞろぞろと歩いてきている。それらのヒトたちの逆らうようにディズニーランドチケット売り場まで歩いて行ったんだが、当然のことならがすでに窓口は無人で入場門の鉄格子は固く閉じられたままでありました。
もっともおっさん一人でいったので、仮に入れるとしてもおそらく入ってはないだろうな。入場料が高いし。
で、持ってったレンズはズームが欲しくて手持ちのキットレンズだったのであまり明るくない。その上ディズニーランドってとこは(シーもそうだが)、夜は全体的に暗めの設定がされてると思われ、暗いレンズで写真をとるのは難しい。強力手ブレ防止機能の恩恵でブレる写真は少ないんだが、やはりノイズは乗るし暗っぽい色合いではぱっとした写真はオレの腕では撮れませんね。なので、全部白黒にしてみましたよ。
白黒にするとちょっと雰囲気が出る気がするしノイズもあまり気にならない
映画「第三の男」を観た時に、「コレがカラーだったらもっと印象が変わったかも」と思ったんだが、白黒にはそういった「雰囲気を醸し出す」といういいところがあるんだろう。よくわからんけど、確かにちょっと落ち着いた雰囲気にはなるもんだな。
▼周りが暗いから、シャッタースピードなど気にせずとも歩いている人がぶれてそれっぽい写真になった。背景がブレてないのはE-M5の手ブレ防止機能のおかげです。
▼手持ちの暗いレンズで花火をとってもあまりキレイではないが、白黒にしたらそれなりに。
写真を撮りながら駅に向かっていると、その日最後のショーが始まったらしく、シンデレラ城辺りでサーチライトが夜空に伸びて、城自体が様々な色合いに変わり色とりどりの花火が打ち上げられていた。おっさん一人で来てみたディズニーランドだったけど、ラストの花火が見られてよかったね。
翌日は仙台へ移動
翌日は仙台へ移動して仕事だったんだが、予想より早く終わったので仙台城へ行ってみた。有名な伊達政宗公の銅像を写真に撮ろうとしたんだがあいにくの逆光で真っ黒にしか写らないわけで、それならばと思い白黒にしてみたらそれなりのものになったっぽくてまあ満足ですよ。
カラー写真を補正してもこれくらいの感じにしかならなかったのですね。もっと工夫して撮れよ、と言われれば返す言葉もなし。
夕日を浴びた順光での政宗公の後ろ姿の写真です。