極私的視点(再)

思いついた時に、思いつきの文章とそれっぽい写真を大公開です。

2019年もおわります

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年末です。

金曜日が仕事納めで、帰りの路面電車のなかで普段よりちょっとキラキラした感じがする車外の風景を見ながらユニコーンの「雪が降る町」を聞いてたら、もうすっかり年末なんだよなーなんて気がしてきました。子供時代はクリスマスの頃になれば街の空気も冬らしくピンと張り詰めて、雰囲気もなんだか変わってきて如何にも「正月」という気分満載だったと記憶しているんだが、いまは特になにも感じないのは年齢のせいか。正月になってもお年玉がもらえるわけではないし、逆にあげなきゃならなかったりするし、大掃除しろとか年賀状作れとか司令が下されるしで色々めんどくさい。特に楽しいことはない。でも、やっぱり天気の良い日の冷たく乾いた空気を感じると、子供時代と変わらずやっぱり正月だよななんて思ったりしますね。

今年は何枚とったのか。

今年は住む場所が変わったりしてアメフトの試合も殆ど見に行けず、またおなじみの宮島詣でもそれほど行けずで撮った写真枚数も少なかろうと思いながら調べてみれば、これがなんと16,870枚(12/29時点)。2018年が16,645枚だったのでそれほど変わってない。思ったよりも写真を撮ってる。その割には腕は上がってないなと残念な気持ちになったりする。

今年はなにをやったのか。

住む場所が変わって仕事の内容も変わって暇が増えたのでその暇にあかせてなにかやろうと思ってたら、所属グループの予算管理で苦労している人がいるということについて相談があったから、それを手伝おうと思い最近流行りのPythonを少し触り始めた。ずっとむかしはプログラマーとかシステムエンジニアとかそんなことを客先に出向いてやってた事もあって初めて触った言語でもやり始めるとだんだんカンが戻ってきた感じ。プログラミングなんて条件文とループ文の組み合わせで、あとはいかに同じような手続きをまとめて記述するかというパズルみたいなもんだからやってるうちの面白くなってきた。といってもまだまだデッチ程度なもんで決して威張れないんだけど、もうちょっとエラくなって手代くらいになれれば機械学習だのビックデータ分析だのも手を出してみたいと思ったりする。でもあっち方面は統計に関する知識が必要だったりしてなかなか一筋縄ではいかない。人生毎日勉強です。大店の旦那になる道は遠い。

そんなわけで仕事関連では暇が多いので業務の合間に色々と出回っている失敗プロジェクトのレポートを読んだりもしているんだが、必ず書いてあるのが「プロジェクトリーダが多忙でチェックしきれなかった」とか「メンバーが他で炎上したプロジェクトのサポートに回って、十分な準備ができなかった」とかいうような内容。それに対する今後の対策が「二重チエックをする」とか「必ず二人で相互確認しながら作業を行う」とか「チェックリストを作りました」とか言うものが多い。それって人手が足りなくて問題が発生しましたって言ってるのに今以上に要員が必要になる、あるいは負担が増える作業を実施するから事故防止ですなんて本気で考えとるんかと。それって根本の解決になっとらんぞと思うのが普通じゃないんですかね。

なにかの区切りの会議などでエラい人が「強い気持ちを持って◯◯を実現しましょう」的な根性論を語っていたりするんだが、問題を根性で克服しようというのは第二次大戦から全く変わっていないメンタリティーでありそれって問題の解決にはならんわけですよ。現場で作業している側は特別気合を入れなくても、決められた手順を守って作業をやれば問題発生を極力少なくできるような環境を作るのがエライ人達の責任だと思うんだが、そういう環境づくりからすべては丸投げだったりして結局現場が疲弊する。まあエライ人達は予算達成に汲々としているからそこまで手が回らない事も確かなわけで、そのくせ休みを取れとか残業するなとかいわれたら、どうすりゃいいのよという気にもなりますわな。

会社を運営する目的は利益を上げることでそれは間違い無いんだが、利益を上げることのみ追求しすぎていないかニッポンは、とか思うわけです。

地球温暖化について日本国政府はむにゃむにゃした態度しか示していないが、海外では「そうだそうだー」とか両手を上げて賛成したり、スウェーデン若い女の子が「企業の経営者は利益追求しか考えとらん。恥を知れ!」とか叫んだりしていて、それはそれでこれからの地球という星のことを考えれば正しいとは思うんだが、今後画期的な方策が出てくれば話は別だが現時点で地球温暖化を防止する具体的な施策を実施すれば経済的な停滞は避けられず、そうなるとこれから生活が豊かになる可能性も低く、もしかすると今よりビンボーな生活をしなければならないかもしれないわけで、そこんところを誰も指摘しないのはどうなのよと思うのです。今よりも(できれば多少程度に)ビンボーになってものんびりと生活できればいいやと思うのか、ビンボーはイヤだからこれからもどんどん便利な生活を送りたいと思うのかをまずはっきりさせなければならんと思うのですよ。そこを曖昧にしたままでは、結局水掛け論で終わってしまう。まあチカラをいれてやってる人たちは、活動それ自体で儲かっているから良いのかもしれないけれど。

そんなこんなで今年も色々とありましたが、なんとか過ごしてゆくことが出来たことは誠にありがたいことです。去年の今頃は、今の場所に住むことになるなんて夢にも思ってなかったし。でもそんなふうな事を経験しつつもゆらゆらフラフラとできるだけストレスを感じない生活ができればよいかなー、なんて思うとります。

 

てなわけで、みなさま良いお年をお迎えください。

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そういや、まだ年賀状的なものはなにも準備していないわ。